劣等感・無価値観への対策。

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それは、「怒りへの克服」と、
少し似ているのかもしれない。

クラスタ(魂の炎症の塊)は定期的に
自分を表現しようと大きくなって爆発する。

ある「現象の体験」を通じて、
それに紐づく感情として表現してくるのだ。

例えば、怒りのクラスタを持つ魂の人は、
定期的に自分を怒らせる様な人に遭遇したり、
どうしようもない爆発的な怒りが
湧いてくるような人生のイベントに遭遇する。

それは、克服しようとしない限り、その人に、
人生の中で定期的に出続けるパターンとして、
鎮静しても鎮静しても、数ヶ月、数年の
期間を空けて定期的に起こり続けるものとなる。

しかも、怒りを克服するどころか、
増幅するような対応をし続けたならば、
その起こり続けるイベントの規模は
年々大きく、困難な出来事となり、、
その人の人間関係や、体の健康状態にさえも
影響を及ぼすようになってくる。これは、
どのような感情のクラスタでも同じであろう。

しかし、その負の連鎖を終わらせて、
怒りの感情を克服する道を
歩もうとし始めたならば、その方法として、
「通常ならば出してしまう反応と
違う反応をする練習」を行う事となる。

自分の心が怒るような出来事が起きた時に、
通常であれば怒りを爆発させる所を、
一歩立ち止まり冷静になって、
いつもとは違う反応で、つまり、怒りではなく、
想いやりと愛情で返すようにする。

それを少しずつ少しずつ練習していく事が、
段々とクラスタを解かし、
怒りを克服していくための方法なのです。

そして、その『劣等感・無価値観バージョン』
で言うと、例えば、自分の価値を否定したり、
低く見積もるような扱いや言動を相手がして来る、
といった体験に遭遇した場合に、

通常ならば、その現実を受けて、
「あぁ、自分にはやっぱり価値がないんだ」
と落ち込み、傷つく。
そして自分を嫌っていく。。

その繰り返しで、どんどん、どんどん、
その人は自分の事を嫌い、
否定し、劣等感を感じる、
という負のスパイラルに陥っていく。

しかしそこで、怒りの時のように、
ここからは「いつもとは違う反応」を
してみるように心がけていく。

劣等感・無価値観を感じるような現象が
今起きたけれど、その出来事と自分の価値を
紐付けてはならない、全く関係ない、という事を、
しっかりと認識しつつ自分に言う。

その出来事は確かに起きたね、
確かに起こった現実だけれど、
それが起こることによって
私の価値が半減するという事はないし、
誰か他人の発言によって上下するという事もない。

私のこの価値は、不動のものである。
いついかなる時も変わらない、今も昔も、
生まれてきた時からも、そして、私がこの宇宙に
存在した時からずっと、私には変わらずに
莫大な価値があり続けている。

そのような自分への声かけを、今までとは違う
新しい反応として練習していくようにする。
それが、劣等感無価値観に対する対処、
ならびに霊的鍛錬の方法になる。

そうすれば、クラスタは少しずつ解けて、
「一つ一つの単なる事実や現象の記憶」という
形に戻っていき、「魂の炎症」と呼ばれる問題を
解決していくことになるのです。

似ているかも、、と思ったのですが、
強いて怒りに対する克服法と異なる部分が
あるとすれば、劣等感無価値観の方が、

・「価値」に関する認識への気づき、
 考え方の変更が必要であり、重要であること。
・他者とよりも自分の内側との対話、
 練習の方が多めであること。

といった違いがあるように思われる。

レベル1の練習が、
自分の内側との対話、認識の書き換えと、
感情のコントロールなどを行う事で、
自分1人の中で完結する
「受け止め方」を変える事。

そしてレベル2の練習が、
さらに相手との対話の中でも行うこと。

このレベル2は、レベル1が
しっかりと根付いたからこそ
やっていけるものだと思うのですが、
例えば、誰かが自分の価値を
けなすような言葉を言ってきた時に、
それに対して真面目に返さずに、ユーモアで返す、
むしろ明るいジョークで逆に相手を笑わせてやる、
くらいの対応が出来るようになること。

ただしこれには、ある種、、
生まれ持った能力によっての得意不得意や、
笑いのセンスが問われるような側面も、
個人的に多少はあるような気がしていて、

私自身、関西育ちでもないクソ真面目で、
他人からの言葉は全部そのまま
間に受けてしまうタイプだし、

ひろゆきさんみたいに頭の回転が良くて
饒舌でもない、ディベートにももっぱら弱い、
その場で何も言えなくて帰って後悔する、
みたいな人間なので、同じような人には、
このレベル2の難易度は結構高いかもしれない…
とは思うのですが、、

例えそういった生まれ持った才能が
全くなかったとしても、努力して、
「練習」することは出来るので、

まずは返しに使えたりヒントとなるような
上手い人のお手本や引き出しをどんどん
集めて行って、少しずつ実践に取り入れて、
試していくのが良いと思っています。

どの感情の克服でもその現場での対応は、
場数を踏んで踏んで、何度も練習していく、
とう点では同じですしね。

才能以前に、すでに出来上がっている
脳の回路から自然と湧き出てくる感情と
別の対応をすることって、
とても困難で簡単にはできない事だと思うのです。

ちなみに、対応のヒントとして1つ
お手本をあげるとしたらお笑い芸人、
アインシュタイン稲田さんのエピソードです。

ある時、小学生が稲田さんに対して、
「お前の顔キモいねん。」
という風に言ってきたそうです。

その時に、
稲田さんが返したセリフが、

ドヤ顔で・・

「顔だけちゃうで。」

というもの。

その小学生は稲田さんを傷つける、
攻撃する為に言ってきたと思うのですが、
この返しには相手も逆におもしろくなって
つい笑ってしまいますよね。

自分に仇なす者に対して逆に愛情や思いやり、
そしてユーモアを返す、難しいですが、
これこそが、カルマの課題への最善策なのです。

ちなみに、それで言うと、
オブラートに包んだ嫌味を笑顔で返す、
いわゆる「京都節」みたいな感じの引き出しも
結構使えるんじゃないかな〜と思います。

感情は表に出さずに、満面の笑顔で、
(ブラックな)ユーモアを交えて、、
ですからね・・笑

(その人のキャラによっては必ずしもユーモアが
ブラックである必要はないと思います。^^;
が、心意気として参考にはなる…w)

京都の方ではないけれど、叶姉妹の恭子さんは、
嫌な事を言ってくる人がいた時の対応策として、

会話の中で突然、、

「まぁ、今日は夏でもないのに、
蝉がうるわさいわねぇ・・」

と、言うのはどう?と言っていました。

これまだ言えた事ないんですけど、
人生のどこかでいつか言ってみたいです。笑

ちょっと京都系ですよね。w

まぁ、そのような感じでゆくゆくは、
対話レベルでも言えちゃうような感じを目指しつつ、

まずは、自分の心の中の対話から、
ゆっくり練習を始めていきましょう。

外部が何を言ってきても、やってきても、
それはあなたの「価値」とは全く関係ありません。

クラスタがあなたの無価値観をくすぐり、
引き出す為に今まで起こしてきた現象です。

紐づけて考えてはいけません。

私には莫大な価値がずっとある、
それはどんな事象にも左右されず、揺るがないもの。

本当は沢山の愛と豊かさのエネルギーを
受け取っていく莫大な価値があるのです。

今度は、その新しいあなたの心の認識から、
逆に現実を創造していきましょう。

今日もあなたの心が
愛でいっぱいでありますように…

Kana

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